怒りという感情|千葉の注文住宅なら木のすまい工房
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怒りという感情|千葉の注文住宅なら木のすまい工房
- 2017-11-06
- 会長ブログ 阿久津 弘幸
- 2017-11-06
- 会長ブログ 阿久津 弘幸
ある記事に目が留まりましたのでご紹介します。
「怒る」のメカニズムです。
私たちは、怒りという行為によって人間関係を悪化させたり、
信頼を失ってしまったりして後悔をします。
また、「怒る」という行為を我慢して後悔することもあります。
実はこの「怒る」という行為は、自分を守る防衛感情で
身の危険を守ろうとする行為だけではなく、
自尊心や名誉、価値観を守るための行為でもあります。
怒りは人間の自然な感情で、なくしてしまうことは出来ない感情です。
即ち、私たちが出来る事は、「怒り」という感情をコントロールする事ぐらいです。
怒りは突然起こるものではなく、その前段にもう一つの感情があります。
その感情は、楽のしいや、つらい、悲しい、といった感情で
そのうち、つらい、悲しい、不安といったネガティブな
感情が一杯になりあふれてくると怒りという感情になります。
怒りっぽい人は心のコップが小さい人で
コップの大きさが同じ量なのにイライラする人としない人の差なのです。
そこで私たちが出来る事は、コップの大きさを増やす事が考えられますが
コップの大きさが小さい事は、危険察知能力が高いという事かもしれません。
では、何をやらなければならないかは、
それは、ネガティブな感情を発生した時の対処です。
先ずは、出来事に対して意味づけを考える癖です。
例えば
「電車で足を踏まれた。」
とした時、
「わざと踏んだ」と
「電車が揺れて相手がよろけた。」もしくは「相手が具合いが悪くなってよろけた。」
と踏むという相手の行為に対してとらえ方により感じ方が大きく異なります。
前者は、ネガティブな発想で一杯になると怒りに変わります。
後者は、相手が大丈夫かと、いたわりとなります。
普通に考えればわざと踏むことは無いわけですから
いたわるはずですよね。
分かってはいるのですが、何故「怒る」のですかね。
それは、出来事に対して意味づけを考える癖がないからです。
そして、仮にわざと踏まれたのでしたら、
一杯になる前に対処すればいいのです。
まあ、私でしたら、わざと踏まれたら怒ります。
当たり前ですよね。
わざと踏まれたわけですから、
でも考えてみると、
踏むには踏むなりの理屈があるわけです。
その理屈を整理しないと解決が出来ません。
例えば、こちらが先に踏んでいたとか・・・
もしくは理屈がなく踏まれたのならば、触らぬ神に祟りなしです。
冷静に考えればわかります。
何だか簡単な気がします。
私たちは、怒りという感情と上手く付き合わなければならないのですね。
人生、精進の連続ですね。
頑張ります。
これからも木のすまい工房をよろしくお願いいたします。